TKMデジカメ山歩き 2021/10/15(金)
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快晴
三浦峠
スタート:五百瀬(三浦口) ⇔
ルート :小辺路 5/7 《五百瀬~三浦峠》
 
歩いた足跡

歩行断面図
【所在地】奈良県
【山地系】
 
 
 Ⅲ△1145.33m(三浦峠)
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標高 時間
到着/出発
休憩
タイム
地名・ポイント名 区間
歩行タイム
ヤマプラ
コースタイム
(往)歩行
累積タイム
(復)歩行
累積タイム
自宅⇔現地 (往) (復)
340m  08:28   ① 五百瀬小学校 P 0:09 - 0:09   出発時間 06:00 13:55
   08:37   ② 登山口(三浦口) 到着時間 08:15 16:50
1:46 2:00 1:55  
1060m  10:23   ③ 三浦峠 片道距離 107 ㎞ 103 ㎞
0:17 - 2:12  
1145m  10:40   ④ 三等三角点(三浦峠)△1145.3 往復距離 210 ㎞(AVG=16.3)
0:13 - 2:25  
   10:53~11:02 0:09 三浦峠  
0:19 0:20 2:44  
   11:21~11:26 0:05 ⑥ 古矢倉跡  
0:20 0:25 3:04  
   11:46~12:19 0:33 ⑦ 三浦峠 ASC(総上昇)プロトレック 940 m
1:14 1:40 4:18 1:14
   13:33   ⑧ 登山口(三浦口) DSC(総下降) 〃 920 m
0:11 - 4:29 1:25
   13:44   ⑨ 五百瀬小学校 P 総上昇量(GPS)map60 905 m
  5:16 0:47   4:29 00:00     移動距離(GPS) 〃 12.7 ㎞
 
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アクセス

奈良 ⇔ 《R24・京奈和道》五條IC ⇔ 《R168・県733》 ⇔ 五百瀬

駐車場
五百瀬小学校(廃校) 「熊野古道小辺路駐車場」として開放されている
ルート
P ⇔ 登山口(三浦口) ⇔ 吉村家跡防風林 ⇔ 三十丁の水 ⇔ 三浦峠(⇔三等三角点 △1145.3) ⇔ 古矢倉跡 【往復】
記録
昨日(2021-10-14)、衆議員が解散した、任期満了に伴う解散だ。
それに先立つ 10/4 衆参両院にて岸田文雄議員が第100代目の内閣総理大臣に指名されて 10日での解散だ。解散から投開票(10/31)までも 17日しかなく、何れも戦後最短との事。
コロナでガタガタになった世の中、新たな政治の力で正常に戻してほしいものだ。

8月に入ってから、近畿の低山歩きは暑いので、標高の高い山へ遠征登山していた。
5回の遠征で計 11の山を登った。全て前日に車中泊したので、その車中泊も 11泊。
10月に入り、スッカリ秋めいて暑さは和らぎ、と言うか寒い日も出てきたので、近隣の山へシフト。

近隣の山への復帰始めは、小辺路の「五百瀬~三浦峠」を歩く事にした。
現地まで 100㎞以上あるが、京奈和道。R168と道路事情が良いので、2時間強で行く事が出来る。
今回の行程は5~6時間程度なので、ユックリのスタートでも良いが今日は平日。通勤の車が増え始めるまでにR168に乗りたいので何時もより小 1時間早く起き自宅を 6時前にスタート。

少し大回りになるが何時ものガソリンスタンドで、満タンにする。そのガソリン価格、このところ価格上昇が激しい。1年前に比べ 30円/liter も上がっている。満タンにすると 1500円以上も余分にかかる。痛い出費だ。今日の現地往復は、燃費を換算すると≒2000円位だろうか。

R168で何度もトラックに引っ掛かり、予定より少し時間がかかって駐車予定地の五百瀬小学校(廃校)に到着。平日のためか先着車はなかった。ココを利用するのは、今回と反対方向の伯母子岳に行った時に 1度利用したことがある。

外気温は 17℃、今は丁度良い気候だが、今日は気温が上がり夏日になるとの予報だ。
準備を終え校門を出ると、夫婦さんの乗っている山梨ナンバーの車が入ってきた。200名山の伯母子岳への登山だろうか。伯母子岳へは反対側の大股の方がメジャールートなので、小辺路歩きだろうか?

県道を戻り、三浦口のバス停の横に「熊野古道小辺路(三浦~西中)登山口」の大きな案内ポールがあったのでその横から中に入ると私有地の中だった。その私有地の横に人道があり、「三浦峠 4.5㎞」の分岐表示もあった。

そこで県道から細い人道に折れると、吊り橋の「船渡橋」に繋がった。思ったより幅の広い橋で床は全面グレーチングで覆われた長い吊り橋だったが揺れはほとんどなかった。
ワイヤで、橋に溶接した丸環を吊っていたが、和歌山の水道橋崩落の事が頭をよぎり 1ヵ所でも丸環部分が腐食して外れたら・・と思うとゾッとした。
橋を渡った所に登山届BOXがありそこから山道につながっていた。

登り始めたすぐ先で、廃集落の中の石畳道に変わった。暫く廃集落内を登って行くが一番上の廃屋まで、下から高度差 100m位あっただろうか、近年までそんな不便な所に住んでいたと思うと何だか感慨深い。
最後の廃屋を過ぎ、ひと頑張りすると道脇に大木・・と言うより巨木が出現。その先に「吉村家跡防風林」の案内表示があった。密集している植林の一角に、老巨木が何本かあったがその巨木の見事だったこと。

そんな巨木を見て 30分ほどで、今度は「三十丁の水」の表示。ルートから外れた所にあるが、先に見えていたので行ってみると、竹筒から勢いよく水が流れていた。渇水期も涸れる事はどうなのだろうか。

吊り橋を渡ってからは、ズーっと植林の中を歩いてきたが、山腹を大きく巻く所で突然開け前方にはこれから向かう三浦峠のピーク、右(北)方面には伯母子岳の稜線・下方にはスタートした五百瀬小学校の屋根も見えていた。

その五百瀬小学校をスタートして 1:55’で林道が交差する三浦峠に到着。東屋と少し離れた所にトイレがあった。
目の前に三角点のピークがあるので、登り口がないかと探しながら西中方面に進むが、それらしき登り口はない。山頂北側の尾根先付近で山側にネットが張ってあり、入口を開けたら閉める との表示があった。その入り口はなかったものの倒木でネットの一部が倒れかけた所があったのでそこからネットを超えて中に入り、上を目指し適当に登って行く。

所々に倒木があるものの避けて通れるので全く問題なし。その他に障害物はなく、ネットもあったもののほとんどが倒れていた。
踏み跡やテープなどは全くなかったが、15分程度でピークらしき所に到着。三角点は確認できたが国交省の杭はなく、辺りを見回したが山頂表示は見当たらなかった。
登ってくる途中で展望があったが、山頂は展望も何もない所だったので、早々に引き返す。
戻る途中で林道が見えたので、着地しやすそうなところに下ると、東屋の前に着地した。
三浦峠から三角点までの往復はジャスト 30分だった。
なお三角点は、三等三角点で基準点名は「三浦峠」、標高は 1145.33m

東屋の中に入り、小腹にパンを入れ、まだ時間が早いので西中方面に行ける所まで行ってみる事にした。
三浦峠からダラダラと下っていくと、少し先で崖側が切れ落ちでいるので意識して下っていく。
熊野古道なので道は良いが、ボーッとして足を踏み外したり、ザレている所もあるので、無造作に歩き滑ってしまうと一大事にもなりかねない。何とはない下りでも要注意だ。

そんな場面を 20分近く下ると「古矢倉跡」に到着。
そこで思案、まだ時間に余裕がある。この先のポイントは「出店跡」、往復で 4~50分位か。
迷いに迷ったが、復路で登り返すのは精神的に嫌な気分。で 軟弱な心が勝ち、そこで引返すことを決意。
下ってくるときは緩やかな下りと思ったが、登り返しはそれなりにシンドク 25分かかって三浦峠に戻る。

東屋に入り昼食にする。今日はポットを持ってきたのでコンロは出さず、そのポットのお湯でカップめんとオニギリの昼食。食後のコーヒーはチョコレート菓子をデザートにした。

腹を膨らまし、あとは来た道を引返すだけ。
往路では気にしなかった、ガケ道の下りは若干気を配って通過し、無休憩で一気に下った。
下る途中、トレランの 2人組、下山近くの廃集落内で大きな荷物を背負った同年輩の単独さんとすれ違う。
今日見かけた人は、その 2組のみ。明日は雨なので小辺路の縦走者はすくなかったのかな。

登山口の三浦口から三浦峠まで、登りは 1:46’だったが、下りでは 1:14’だった。
駐車した五十瀬小学校の戻ると、山梨。神戸・奈良ナンバーの後着車が 3台駐車していた。それらしき人とは出会わなかったので、当方とは反対の伯母子岳に向かった模様だ。
 
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五百瀬小学校(廃校)
「熊野古道小辺路駐車場」として開放されている
R168から現地に向かう県道に折れると杉清から先で、8:30’から時間制限通行止めの表示があった。午後の通行可能時間は 15:00’~15:15’、17:00’~
時間を合わせて下山しなければ・・と思ったが、杉清は五百瀬の先の集落だった。

到着時に駐車している車はなかったが、歩き始めると山梨ナンバーの車が小学校に入ってきた

南朝史跡 腰抜田
明治の大水害で埋没し、現在は川底にねむっている

三浦口のバス停
県道は左だが、先で崩壊しているので、右の河原から仮設の河中道路を通ってきた。

バス停の横に登山口の案内があったので、中に入ったら、そこは私有地だった

私有地の横に人道があり吊り橋に繋がっていた

船渡橋
長い吊り橋だが、幅も広く揺れはなかった

船渡橋から
通ってきた仮設の河中道路。右下の橋も仮設橋

吊り橋の床はグレーチング
下が見えるので、スリルがある
ワイヤのみで吊っているので、和歌山の水道橋の崩落の事を考えると・・

吊り橋を渡った先に、登山届BOXが設置してあった

廃集落内の石畳道

集落内の最上部の廃屋
下から標高差 100m近くはあった

巨大な木が出現

上側にも巨大な木があった

吉村家跡防風林
密になった植林の中に老巨木が何本か残っていた

少し上側から

崩壊地は修復され安全に通過できる様になっていた

三十丁の水 分岐
少し奥まった所にあるが、通路から見えていた

三十丁の水
かなりの水量があったが、渇水期でも涸れる事はないのかな

約 2/3歩いてきた
全行程は 4.5㎞

道標と丁石の模様だが、摩耗して読めない

急に開けた所に出てきたら前方に、三浦峠の横のピークが見えてきた

北方面にも展望が開け、伯母子岳(右)が見え、下方には五百瀬の集落も見下ろせた

五百瀬をズームすると
駐車した小学校の屋根も見えていた(左の赤い屋根)

山崩れ個所もシッカリした道があったが、通過には気を使った

短い距離だが、この橋がないと渡れない

通路の脇にはネットが
ヤブ化を防止するためかな

三浦峠に上がってきた

三浦峠
尾根上を走る林道を横断し、三角点のピークに向かう

三角点のピークに向かって登っていると右側に展望が見えた。
左端に夏虫山と伯母子岳(右)、右奥に見えるのは唐笠山?

ネットがあるが、倒れて役に立っていない
ココまで倒木等は多くあったが、避けて通過できるので問題なかった

三等三角点に到着
三等三角点1145.33m 基準点名:三浦峠。
山名表示は見当たらなかった

山名表示かと思ったが、登山者のペンネーム
踏み跡・テープ等は全く見当たらず、訪れる人はいないみたい

登りは尾根先から登ったが、下りは林道が見えたので、三浦峠の東屋に直接下りてきた。

東屋の中で、一服して小腹にパンを投入
時間に余裕があるので、先の行ける所まで行ってみる事に

ダラダラと下っていくが、戻ってくるときはシンドかった

古矢倉跡
もう少し先まで行くかかなり迷ったが、軟弱な心が勝り、ココまでで引返すことにした

屋敷跡の西側に天保十年と記された地蔵菩薩座像があり、その前に「南無阿弥陀仏」と刻まれた石柱がある。
と説明があったが、石柱はどこに

三浦峠まで戻り、東屋の中で昼食
ポットのお湯を持ってきたので、そのお湯でカップめんとコーヒー

三浦峠のの案内看板
明治の大水害のため、十津川の村民 2600人が北海道に移住するため、小辺路から神戸に向かう途中、伯母子峠で二度とみる事のない十津川を見納めた との話が記されていた

吉村家跡防風林

往路で最初に目についた大木を反対側から

廃集落の一番上まで下ってきた。
電柱もココまで

船渡橋
右は河中道路の仮設橋

登山口の県道に合流
昨日衆議院が解散した、選挙は10/31

駐車した五百瀬小学校(廃校)に戻ると、当方の車以外に 3台駐車していた、1台は手前奥で写っていない
山梨・神戸・奈良ナンバーの 3台
 
 
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